自分の感動を疑うことって、実はあまりないと思う。
でも、その時の「感動した」は果たして本当なのか?
単なる先入観ではないのか?
前評判に踊らされていないか?
著名人だからではないのか?
劣等感からの逃避に都合が良いからではないのか?
大多数の意見に飲まれていないか?
好きな人が推しているからではないのか?
自分の感動さえ疑うことを「野暮」だと感じるかも知れない。
「野暮」だと感じる時は、自分の現状という殻を抜け出す必要がないと思っている時。
もし自分の殻を破りたければ、野暮であろうが何であろうが、自分の感動する心そのものさえ見直す覚悟がいる。