「道」は自分の鍛錬をきっかけにする。
「教」は他人の導きをきっかけにする。
「道」には明確なゴールはない。
「教」には明確なゴールが示されている。
「道」はプロセスそのものに価値を求める。
「教」は悟りそのものに価値を求める。
決定的な相違点ばかりだけれど、ひとつ共通点がある。
「道」も「教」も、本来は自主的なものだということ。
自分で考え、自分で動き、自分で悩み抜いた時に、はじめて助けになるもの。
「癒し」だとか、
「心のスキマ」だとか、
「マニュアル」だとか、
「○○日でマスター」だとか、
そういう類とは真逆にあるものが、本来の「道」であり「教」だと思う。