Column

【1を聞いて10を知ってからのひと手間】

「1を聞いて10を知る」人は、たいてい気が利く人と捉えられていますよね。何かとっても有能の人の象徴のような。
でも、僕はあまりそう思わないのです。

「1しか言ってないのに10も分かった気になる」ってことは、残りの9はその人の推測ってこと。
もちろんその人の豊富な経験に基づいた推測だとしても、こちらの真意がほとんど伝わっていない可能性もある。
つまり「予断の多い人」だと思えるのです。

かなり信用のおける仲間同士だとしても、これはコミュニケーションとして危険なことだなあ、と。

僕も何度か「知ったつもり」と「知られたつもり」で大失敗したことがあります。
知ったつもりになっているぶん、自分と相手との「思い込みの差」に気づかないである程度まで話が進んじゃうんですよね。

それで実際に物事が動いた時に、
  「あれ?こんなはずじゃなかったよね?」
  「え?だってそう言ったじゃん」
よくある、悪夢のような、夢なら醒めてほしいような、コミュニケーション不足によるトラブルに陥るのですね。



分かった気になってしまうってのは、実はすごく損です。
だって、他人が10教えてくれようとしているのに、1だけで終わってしまうのですから。
残りの9の中に、これまで自分が知らなかったことが入っていたかも知れないのに、それを放棄してしまうなんてすごく勿体ない。


「1を聞いて10を知ったとしても、とりあえず10まで聞く」


ことを試してみると面白いです。
実際に10を聞いた段階で、大抵は「さっきの知ったつもりの10」とは別物だと気づくことができます。



どんな人でも必ず「思い込み」があって、会話やコミュニケーションはお互いの「思い込み」をすり合わせる大切ないとなみ。

お互いの違いに気づいて、それをお互いが埋めていく。
そんなコミュニケーションの素敵な醍醐味を「知ったつもり」でやり過ごさず丁寧に味わえば、たったひとつの会話でも実りのあるものになるかな、などと思ってます。

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