Column

【左脳デトックス】

さて、久しぶりのコラム更新。
これからは少し方針を変えて、これまでのコラムに加え、140文字つぶやきのようなショートショートコラムも併せてここで更新していこうかなと思ってます。

コラムにしてもつぶやきにしても、やはり文字であり文章であり言葉。
言葉のパワーは時として人に素晴らしい感動を与えたりもするけれど、言葉の限界というものも厳然と横たわる。
今年の夏はぼんやりと、そんなことをずっと思っていました。



ツイッター等でよく見かけますよね。

  政府や自治体への罵詈雑言。
  放射能汚染のもっともらしい分析。
  避難・除染・不安・安心・安全という言葉の大渋滞。
  それに対して言葉じりを捕まえたような中傷。
  白熱した議論が単なる140文字の大ゲンカに変わるさま。

分析のための分析。議論のための議論。中傷のための中傷。
言葉の乱反射で目まいがするようです。

それでも、それらの言葉や議論によって現状が改善してゆけば良いのですが、どうやらそうでもない。
みんなが寄って集って大ゲンカをしているのを横目で見ながら、色んな物事は確実に進行してしまっています。

何か大変なことが決まりそうになっているというのに、見知らぬ人同士で顔も合わせずに、
 「反対!」「いや賛成!」
を言い合い続けて、結局のところ実際のリアル社会には何も貢献していない。



そんな状況を見ていて、僕は「文章」というものから、この夏は少しだけ距離を置こうと思いました。
コラムもちょっとお休みして、tumblrも始めて、ツイッターもなるべく画像中心に、音楽も身体を使った練習を中心にして、

 「右脳の夏」「身体の夏」

とすることにしました。
ひとまず「BEAT COMMUNIST」開催の10/30まではそうしてみよう、と。

すると、これまで言葉で解決しようとしていた精神的なブレや凹凸が、ウソのように消えました。
言葉の乱反射によって薄まっていた感覚を、一気に取り戻したようなヒリヒリ感。
作る音楽もさらに感覚的・直感的になったし、ひとつひとつの言葉を大切にして伝えられるようになった。
僕の社会的な存在価値は「感覚を提供して共有すること」だという、音楽家としての基本中の基本を、身体が思い出してくれたかのようでした。

この試みは、僕にとっての「左脳デトックス」になりました。



今年最後のビーコミュも終わり(遊びにいらしてくれた皆さん、ホントありがとね〜!)、言葉や文章への距離感を再び見つめ直してみようと、まずはコラム再開から。
言葉を最小限にするという楽しさも、ショートショートコラムの形で表現できれば良いなあ、と。

  1. あい

    先日のビーコミュ、素敵な時間をありがとうございます。
    ビーコミュで中塚さんが「僕は、ここでみんなに会えるから、大切にしているし、みんなを仲間だと思っているから」と丁寧におっしゃられていて、すごくジーンときました。
    つながる・・その場にいた皆さんと繋がっているという感覚がしました!(ふと考えると、となりにいた人は知らない人なのに、なんか笑顔で、幸せそうで、私も幸せで^^)世界も周りもこんな感覚で溢れていたらいいな~って思いました。

    • NAKATSUKA TAKESHI

      あいさん:
      ビーコミュ遊びに来てくれてありがとう!
      この前はいつも僕が思ってることを伝えられて本当に良かったと思ってます☆
      僕たちは演奏しながらいつも、その100倍くらいのパワーを逆にもらってるなぁ…と感じてます。
      この前のビーコミュでは僕もあいさんと同じく、何だか一瞬、すべての人と音と映像が完全に一体になったような気がしました☆

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