Column

【時間の近眼・時間の肥満】

大人になってから気づいた驚愕の事実のひとつとして、
「大人になっても、思考回路は子供の時とほぼ変わっていない」
ということがありますよね。
子供の頃の30代ってすごく大人に見えたはずなのに、いざ自分がその歳になるとまだ全然子供だと感じているのは、おそらく僕だけでないはず。

この事実を子供の時に知っていれば、、、あ、たいして何も変わらないか。
むしろそんな真の宇宙法則を知らせてしまったばかりに、大人に対してナメた態度を取る子供が増えると困りますね。



ひとつだけ、子供の頃からは決定的に成長しておきたい考え方があります。
それは、

「時間」

に対する考え方。



子供の頃は、時間の切り取り方なんて「朝」「昼」「夜」くらいでした。
少し知能がつくと「12時間」から「24時間」に切り取れるようになるけれど、スパンが1日単位なのは変わりません。
スパンを大きく取っても
「一学期→夏休み→二学期→冬休み→三学期→春休み」くらい。
大学生になっても、時間に対する考え方なんてそんなものだったかも知れないなあ。

社会人になって仕事をするようになっても、暦とか年中行事とか、とにかく1年周期のスパンで物事を考えることが多いですよね。
そうすると、時間に対する視野がどんどん狭くなって、
「ああ、もう3月か。今年は早いねー」
という、毎年お決まりのセリフが口を突いてしまう。

これを漫然と言わずして何と言うのでしょうか。



「時間」というものをこんな風に、ざっくりと、おざなりに、なおざりに、何となく扱うクセが付いてしまうと、知らぬ間に、人生のスパンもいい加減に考えるようになります。

何となく、
「こんなもんかな、自分の人生は」
と、そう考えることがさも大人の証であるかのように思えてきて、
「こういう小さな幸せが本当の幸せだ」
などと、どこかで聞いたようなセリフを免罪符にして、今の自分の人生に「全肯定」という名の目隠しをしてしまう。

結局、時間に対する考え方があやふやなばっかりに、自分の人生までもあやふやにしてしまうのですね。
あやふやとはどういうことか?
それはとどのつまり、



時間を長いスパンで考える訓練をしていない



ということに尽きると思います。

時間を短いスパンでしか考えられないということは、時間の近眼になっているということ。
時間を短いスパンでしか考えられないから、「今が良ければいいや」と考えがちになる。

今が良ければいいということは、時間の肥満になっているということ。
つまり、時間の食べ過ぎなのです。

(つづく)

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