(つづき)
時間に対してあやふやな態度のまま、
「今が良ければいいや」
と時間の近眼・時間の肥満になった結果、後で取り返しのつかない事態が自分自身を襲ったとしても、そこで後悔する人はまだ救われます。
人によっては後悔すらせず、またその時点で「今だけ良い」方に逃げ込んでいく。
で、気がつくと、
取り返しがつかないほど齢を重ね、
肉体は老い、
蓄えは元々無く、
心を許せる人はこの世を去り、
孤独のまま死を迎える。
ということになってしまいます。
実際、そういう人生を送ってしまう人も現代では珍しくないのかも知れません。
それはものすごく怖いことです。
長いスパンで物事を考えられない時間の近眼。
今が良ければいいやと考える時間の肥満。
これって、この国の現状そのままですよね。
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ではどうすれば、長いスパンで物事を考えられるようになるのでしょうか。
それは何も難しいことではなく、単なる時間の見方のコツにあるのだと思います。
何かが起こった時、普通それは過去の何かに原因があると考えます。
まあそりゃそうですよね。原因があって結果があるのですから。
そんな風に、何かが起こった時にはじめてその事を考えるのは、動かせない過去の答え合わせをしているだけなのです。
ここで忘れがちなのは、
「もう過去を動かすことは不可能なのだから、いくら現状を分析しても未来にはつながらない」
ということです。
<原因>と<結果>を、<過去>と<現在>に求めても、それは、もう答えが分かったことを評論しているだけなのです。
<原因>と<結果>は、<現在>と<未来>に置き換えるべきです。
今、現在、この瞬間というのは、<結果>でなく<原因>なのです。
どこか目的地に向かう時に、出発地点を見ながら後ろ向きで歩く人はいませんよね。
目的地の方を向いて歩くはずです。
現状分析ばかりして過去に囚われてしまうのは、出発地点ばかり気にして目的地を向いて歩いてないことと同じです。
今を「過去の結果」とは捉えずに、「未来の原因」として捉える。
「今の自分が未来の原因なんだ」
と思えると、自然と将来を長いスパンで考えられるようになるし、そのために今自分が出来ることを、わりと苦もなく自然に選べるようになります。
<今>を結果として考えるから「今が良ければいいや」になってしまう。
<今>を原因として考えれば、「今も楽しいし、明日も楽しい」になる。
これが僕が実践している、時間の近眼・時間の肥満の解消法です。
時間を長いスパンで考える習慣がつけば、毎日がすごくワクワクします。