僕は音楽を「言葉のない会話」と捉えています。
なので、会話の時と同じように、どの楽曲でも、
「もしも誰かが深読みしようとした時にも、ズンズンと深みにハマれる」
ように、幾重にも意図と意匠を編み込んでいます。
でも、切ないことに時代は、
「1曲の深読み」
よりも、
「多くの曲のプレイリスト」
が主流で、1曲の持つ重みが軽くなりました。
もちろんそれ自体は悪いことでなく、僕はむしろ良いことと捉えています。
アルバム単位でなく1曲単位でダウンロードできる。
携帯プレイヤーで何千何万と曲を持ち歩ける。
自分が思ってもみなかったシャッフルを楽しめる。
10年前には考えられなかった音楽の楽しみ方が広がりました。
音楽はコミュニケーションですから、作り手の意図と聴き手の感じ方が必ずしも合ってなくて良いと思います。
ただ、これだけの音楽の洪水の時代の中で、
「聴き手が作り手の意図を知る機会」が薄らいでいる
ということに、コミュニケーション手段としての不備を感じるのも正直なところです。
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これまでに作った幾つかの楽曲では、幸運にも、聴き手が僕の意図までを深読みしてくれる瞬間がありました。
そういう時には、
「自分は、音楽家としてこの世に存在していても良いのだ!」
と身体全体でビリビリ感じ、筆舌に尽くしがたいほどの至福を感じます。
もちろんその逆もあります。
会心の出来映えなのに、意図はおろか楽曲そのものを聴いてもらえず、相手にもされない瞬間。
「相手にされない」というのは、「ケナされる」よりも段違いに切ない。
ケナされるというのは、逆に言えば「聴いてもらえた」ということだから、そこに関心そのものは存在するし、コミュニケーションが成立しています。
でも「相手にされない」というのは無視・無関心だから、そこにコミュニケーションは存在しません。
これほど切ないことはないのだけれど、実は曲を作っているとそういう場面に何度も何度も出くわします。
ライヴ演奏であれば、ほとんどの場合は誰かしら(スタッフかも知れないし、オーディエンスかも知れないし、バンドメンバーかも知れない)が聴いています。
聞こえているだけという状態かも知れないけれど、聞いている人がいる場合が大半です。
けれど、作曲に限っては、聴き手がゼロ、ということがあり得るのです。
発表するつもりで作って、ネットにもアップしたけれど、視聴数ゼロ。という場合だって決して珍しくはないのです。
しかもそういう切ない機会というのは、想像よりもはるかに多いのです。
音楽に限らず、作品を作るというのは「他人の無関心」という強烈な孤独感に耐える作業なのかも知れません。
コミュニケーションは、どこからか「無関心」というガン細胞が入り込んだ瞬間、死滅します。
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僕はプロアマ問わず、他人の曲はなるべく聴くようにしています。
中には「なんだこりゃ?」みたいな楽曲もありますが、それでも「なんだこりゃ?」という感想を持つようにしています。
「作った本人が一番切ないのは聴いてもくれないことだ」と肌で知っているからかも知れません。
同じように、人の話もなるべく聞くようにしています。
僕は忘れっぽいので10分後には聞いた話を忘れているかも知れないけれど(実際多いですw)、コミュニケーションの基本は「話すこと」よりも「聞くこと」と感じているからかも知れません。
こちらのコラムをupして戴けた事と、
それを読めた事に大変感謝しています。
感動!
‘好き’の反対は‘嫌い’ではなく、
‘無関心’なんですよね。。
‘捨てられた女’よりも哀しいのは、
‘忘れられた女’であるとか。。
音楽は「言葉のない会話」。
そうか!
どんなに言葉を尽くしても伝わらなくて、
でもこんな気持ちなんだ!
って表現したもの。
‥との解釈はちょっと違ってるかもしれませんが。
話しを‘聞く’って、
すっごく難しいんですよね!
ただ単に黙って聞いていれば良い訳じゃなくて、
相槌を打ったり質問を挟んだりちゃんと眼を見てあげたり会話を広げてあげる事で、
初めて‘聞く’が成立すると思うのです。
私はしゃべる事がニガテなので、
片手間に聞かれると
ほんとに聞いてくれてるのかな?と不安になって会話が続けられなくなります。
だからイベントの後など中塚さんに私のたどたどしい(笑)話しを聞いて戴いた時は、
とっても嬉しかったです♪
有難うございますね!!!
10分覚えていられるなら、
大したもんだと思います‥よ?(笑)
viviaさん:
他人に無関心でいないためには、その人のことを「好き」なのか「嫌い」なのかをハッキリさせてしまう、というのが大切ですよね。
同じ人に対して「好き」と「嫌い」が混在していても良いと思います。「ここが好き」「ここが嫌い」という風に。
相手によっては「好き嫌いすら思えない人」いわゆる「まったく興味を持てない」人が出てきます。
でも、それまでに「好き嫌い」をはっきり表明できていれば、そこで初めて、「私はこの人に興味を持たない」
と能動的に決められます。
その場合の「興味なし」は無関心ではなく、積極的な「非関心」ですから、自分の態度をはっきり表明したと同じですよね。