僕は「我慢」があまり好きではありません。
というか大キライです。
好きなことをしない「我慢」。
嫌いなことをする「我慢」。
自分に責任さえ持てれば、こんな我慢は全くしなくても良いと思っています。
その一方で「粘り」はすごく大切だと思っています。
好きなことで壁を乗り越えるための「粘り」。
嫌いなことをしないために払う「粘り」。
一見すると「我慢」に近いこの「粘り」という行為も、こうして並べて書いてみれば、その目的がまったく違うことに気づきます。
「我慢」の向こう側には「自己犠牲」が存在します。
「粘り」の向こう側には「生産性」が存在します。
「我慢などまったくしない」と言い切るには、なかなかの勇気が要ります。
我慢しない分、自分の役割にとことん粘る姿勢を貫けば良いと思っています。
<我慢と粘り>
<メッセージソング>
単なる感情の吐露だけのメッセージソング、
政治的信条や賛成反対を叫ぶばかりの単純な音楽、
それならば、時事川柳や床屋政談の方がまだマシだ。
直接的なメッセージを伝えたいなら、わざわざメロディに乗せなくとも、ただ声や文章で叫べば良い。
それでもどうしてもメッセージを訴えたいなら、音楽として語感を丁寧に紡ぐことが大切。
「メロディ・詞・歌声が同時に耳に入って来た時の心地よさ」
をしっかり追求してこそ、歌詞の内容に感情移入できる。
内容・音感・語感が渾然一体となってはじめて、「言葉」は「歌詞」へと昇華される。
頭で考えさせるばかりで聴感をないがしろにするメッセージソングは、両耳に失礼だ。