翌日晴れたら、
「昨日の雨でコースがぬかるんでるから」
翌日曇りだと、
「気圧が少し低くて気分がすぐれない」
もう全天候に対応できる「できない理由」が瞬間的に用意されてしまうのです。
人は誰もが「できない理由」を思いつく天才なのかも。
知らないうちに、
ほぼ毎日、
時と場所を選ばずに、
その才能をいかんなく発揮して「できない理由」を大量生産してしまうのですね。
今回の大惨事では、本当にたくさんの学ぶべきことがあります。
そして、日々学ぶことが増え続けています。
僕が気づいた事も少しずつ、覚え書きのようにここに書いておければと思ってます。
最初に大切だと思ったのは「スタンスを決める」ということ。
こういう状況になると色々な言葉、行動などが飛び交いますよね。
「パニックになるな!」という言葉が溢れて、それ自体がパニックになっていたり。
「自粛しろ!」と言ったかと思えば、今度は「自粛するな!」と言ってみたり。
これまで気にも留めていなかった人たちが狂ったように「原発反対!」を叫び始めたり。
こういうのって結局、普段からその事を考えてこなかった、という裏返しでもありますよね。
あらゆることに対する自分のスタンスが決まっていなかった、ということ。
また、色々なところで色々な質問が飛び交ってます。
どこに募金すれば良いのか?
自粛した方が良いのか?しない方が良いのか?
お花見はしても良いのか?
原発は作らない方が良いのか?
放射能は安全なのか?危険なのか?
マスコミが言っているのは本当なのか?ウソなのか?
野菜は食べて良いのか?
水は飲んで良いのか?
魚は食べて良いのか?
東京を脱出した方が良いのか?
日本を脱出した方が良いのか?
僕は思うんですよ。
「そんなの自分で決めろ」
と。
自分が「安全だ」と思えば、野菜も水も魚も食べれば良いし、
自分が「危険だ」と思えば、東京や日本から脱出すれば良い。
お花見をしたければすれば良いし、
原発に反対ならばデモ行進に参加してみれば良い。
被災地では自分の行動の選択肢が限られている人たちが沢山いる中、少なくとも自分で判断して行動できるはずの僕たちが混乱してどうするんだ、と。
確かに「危険だ」と判断して東京を脱出できるかと言えば、そう簡単にはいかないでしょう。他人の目も気になるでしょうし。
「安全だ」と判断して水道水を飲み続けるのも、それなりに戸惑いがあることでしょう。
ということは、そもそも「どちらの判断でもリスクはある」という事なんですよね。
だから、他人がどう思おうがどう言おうが、自分が判断したスタンスに従って行動するしかないのです。
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僕たちは、物質的に豊かな生活を享受しすぎて、自分で考えることが少なくなってたんだと思います。
「癒し」「ゆとり」「ゆるキャラ」「草食系」…
ぬるま湯に浸かった生活でなければ生まれないような言葉に囲まれ、温々とすごしてきたのです。
だから、冷や水を浴びせられた時、あまりの水の冷たさに正気を失い、思考停止して呆然と立ちすくんでしまっているのだと思います。
ここで、もうぬるま湯ではない考え方を獲得しないと、この先ずっと思考停止して立ち尽くしたままになってしまいます。
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いま気になる全ての事柄、全ての言葉、全ての単語について、
「自分ならどうするか」
というスタンスを今のうちに決めておく。
分からない事柄があれば、今のうちに調べて知っておく。
そうしておけば、何よりも自分自身の安心感につながるはずです。