10年以上前に観た「CUBE」をもう一度観なおしてみました。
ちょうど当時チラホラ日の目を見るようになっていた低予算映画。壁の色を変えていくだけでほとんど1カ所での撮影。それでもこれだけの映画が出来るんだから、やっぱりモノ作りってのはお金かければ良いってものじゃないと実感。
作者は「極限の状況」と「登場人物のプロフィール」だけを用意して、あとは投げ込まれた個々のキャラクターの動きに任せたかのような放り出しっぷり。よくマンガ家や小説家が「キャラクターがひとりでに動き出す」という表現をする場合がありますが、この映画はあえてそれを試みてる感じ。
ホラーっぽさやドギツい表現を採ってはいるけれど、根底にあるテーマは極限状況での人間性。
最初に観た10年前と現在で日本の状況も相当変わって、お金のためなら何でもする人、自分さえ良ければ何でもする人が増えちゃいました。
10年前は実生活での極限状況にリアリティなんてありませんでしたし、日本は経済大国だっていう共通認識にあぐらをかいてましたね、日本人全員。
でも、少し景気が悪くなっただけでこの騒ぎ。
みんな不景気のせいにして、自分たちひとりひとりが犯したはずのミスについては思考停止。
1億人が1人の総理大臣に責任転嫁するものだから、総理大臣もイヤになってコロコロ辞めちゃう。
辞めた総理には「途中で辞めた」と罵声を浴びせ、辞めなきゃ辞めないで「辞めろ」の大合唱。とても人間の行為とは思えません。
今思うのは、人間ってのは、極限状況まで行かなくとも十分ケダモノになってしまうってこと。今の日本人のように、ね。
僕には今の日本人は単なるケダモノに見えます。
草食系?
それは草食動物に失礼だね。
今この映画を観ると、何だかCUBEに閉じ込められているのは反省していない日本人なのではないか、とさえ思えます。
お涙頂戴の商業映画よりもよっぽど、人間の良心について考えさせられます。
あ、ちなみにリメイク版ではなくて、最初の低予算版がイイですよ。
リメイク版は・・・なので。
(つづき)
情報アレルギー対策の3つ目が、3つの中で一番難しい【他人に嫌われることを恐れないこと。】
情報社会って、単にいろんな情報が世にあふれるだけじゃなくて、自分に関係する情報や返信もあふれるってことなのですね。
「炎上」なんてネットが無ければあり得なかった現象ですし。
そのぶん、人から好かれたり嫌われたりすることも、リアルな生活とは比べものにならないほど頻繁に起こってしまいます。
ですから、
実生活上での「好かれる」「嫌われる」と、
情報社会上での「好かれる」「嫌われる」は、
実は全然意味が違う!
ということを、自分に言い聞かせておくのも大切ですね。
でも、ひとことで「嫌われることを恐れない」と言っても、これがまたなかなか出来ない。
誰にも相手にされないのもキツイけど、誰かに嫌われるっていうのもこれまたキツイ。
それをそのまま受け容れるのって本当に難しいことです。
そういう時に僕が採っている方法は、
「嫌われた人を、逆にこちらから徹底的に避ける」
って方法。これが効果てきめん。
ただただ心の中でその人が、まるで世の中に存在しないように振る舞う。
ふと噂や話に出ても、まったく反応せずに一言もコメントしないww。
そうすると自分の中でその人が、
「嫌われてる人」
ではなくて、
「こっちから避けてる人」
にすり替わる。
なんだかとても痛快な錯覚。
人間なんて単純なもので、自分の方が積極的に避けてると、そのうち本当に存在を忘れちゃうんです。
そうすると、あんなに怖かったはずの「嫌われる」ということが、意外と大したことなかったことが分かる。
みんな情報アレルギーのしわざ。
単なるシンドロームにすぎないのです。
だって、本当はみんな、直接会えば魅力的な人に決まってるもん。
—
情報って本当は人間のためのもの。
なのに、情報のために人間が動き回ってる感じがしちゃいますよね、最近。
まるで情報の使い走り。
でも本来は、あくまでも情報が人間の使い走りなのです。
人間は情報なんかよりも断然エライのです。
なのに、人間さまの奴隷のはずの情報に操られ、ちょっとした言葉のあやとか単語の解釈の違いで全人格を否定したり、かと思えば神のように崇めたり。思考回路がまるでデジタル。
人間はデジタルではないのだから、感覚を「+」「ー」かの二者択一にする必要は無いですよね。
情報アレルギーは風邪のようにすぐに身体に襲いかかってきますが、情報やネットに振り回されず、ネット上でも人間らしいコミュニケーションを取っていればすぐに完治するものでもあるのですよね。
マイペースで、自分らしく生きていくのが一番。
(つづき)
情報アレルギーの予防対策2つ目が、【他人の無関心を当然だと思うこと。】
ネットでは「情報を受け取る」と同じくらい「情報を発信する」ことも、あまりに容易にできてしまいます。
ってことは、自分と同じように「何かを伝えたい」と思ってる人もたくさんいるわけですね。
それだけじゃなく、大したことじゃない誰かの独り言と、自分がすごく伝えたい大切なことが、まったく同じ土俵に並んでしまうのです。
ツイッターなんてその最たるものですね。
なにせ、
「人生って何だろう?」
のすぐ後に
「超眠いなう」
とか平気で続いちゃうんですから。
これが意外と、気づかぬうちにボディブローのように心にダメージを与えたりします。
結構ちゃんと伝えようとしたのに、誰かのマヌケな写真画像に話題をさらわれたり(えてしてシリアスな話題はマヌケな写真1枚に負けることが多い)。
昔自分が書いた時にはスルーされたのに、同じことを後になって超有名人が書いて大反響になってたり。
他人事だと笑っちゃうけど自分事だと笑えない、みたいなこの種のダメージは意外にボディに来ます。
ネットが無かった時には、住む世界が違う人同士が同じ土俵に上がることなんて無かったのですから、これはもう完全にネットの影響です。
「そんなに肩肘張らずに、気楽にやろうよ」
と思うときもあります。
でも何かを伝えようとする時って、たいてい気楽じゃないものなんですよね。
また、そういう気楽じゃない時に限ってスルーされるんですね、これが。
だから、こういうのはもう自分ではコントロールできない、いわばお天気みたいなものだと考えることが大切ですね。
「ああ、雨が降ったのか」
くらい当然のことと考えておけば、必要以上にクヨクヨしなくて済みます。
他人が読んでくれることを前提に書きながら、
他人が読まないことを前提に発表する。
なんだか禅問答のように聞こえますが、いざそういう姿勢で何かを伝えてみると、ものすごく心が安寧へと導かれます。
気分を楽にする逆説。
これって実は、ネットや情報社会とは無関係に、表現の基本でもありますね。
僕が音楽を作る時のモットーだったりもします。
(つづく)
最近は花粉からハウスダスト、果ては人混みアレルギーと色んなアレルギーがありますが、情報アレルギー体質も、思いのほか患ってる人が多いのかも知れません。
僕なんてば本当に情報に心身をやられるタイプ。
これを予防・改善するには、3つの方法しかないと思ってます。
1つ目が、【自分のペースを信じること。】
ふと見渡してみると、あれだけ遅いと思ってた自分のペースよりももっと遅い人って世の中にたくさんいるのですよね。しかもそういう人に限って割と魅力的な人だったりして。
逆に、アンテナ高い人ってどこか信用できなかったりするし。
情報をたくさん持ってたり、情報を早く知ってたりしても、その人が偉いわけでも何でもなくて。
逆に何も知らない人のさりげない一言がグサリと心をえぐるほど感動することも多くて。
そう考えると、ペースの速い遅いが人間的魅力と必ずしも比例していない、否、もしかしたらむしろ反比例かも知れない、と思えたりします。
「生き馬の目を抜く情報戦争の中で生き残るには?」
なんて肩肘はって考える必要ないのですね。
どんなに遅いペースでも死ぬことはないですし。
マイペース。好きなコトバです。
(つづく)
ぼーっと生きてる間に、世の中のスピードと情報量は大変なものになりましたね。
ときどき世の中の流れに全くついていけない瞬間があるのですが(というか結構多い)、そのたびに何だか人として世間からNGを出された気分になります。
もちろん実際に誰かにダメ出しされている訳ではないのですが、そういう被害妄想にかられた気分の時に限って、その疎外感を穴埋めするかのようにプライド=自尊心が必要以上に強くなっちゃうのですね。まるでアレルギー体質の過剰反応のように。
「プライド」なんて聞こえは良いですが、要はカッコ良く見せたい見栄ですね。これが強くなっちゃう。見栄ホルモンの過剰分泌です。
そうなるともう大変。
心身ともに「他人にカッコ良く見せたい」という願望が支配してしまって、ただでさえ速い社会のスピードや多すぎる情報にもスマートに対処できなくなってしまうのですね。
情報過多によって見栄ホルモンバランスに異常をきたしてしまう、これぞ情報アレルギー体質。
ひとたびこの情報アレルギー体質になると、欲しい情報ひとつひとつに過剰反応しちゃう。
情報に接するたび、心にくしゃみが出るような情報花粉症状態に。
「あーもうこんなスゴイ人がいるなんて自分はダメだ」
とか、
「この前までそうでもなかったあの人が今ではこんなにスゴくなっちゃった。焦る!」
とか、
「同い年なのにこの人はこんなことが出来るんだ、それに比べて自分は…」
とか、
まあとにかく、情報にいちいちネガティブ反応しちゃったりして。
何か調べものをしていたはずなのに、結局何を調べてたんだかよく分からなくなっちゃったりするんですよね。
「情報に踊らされる」なんて生易しいものじゃない。
「情報に神経をやられている」って表現の方が感覚的に合う感じ。
こんな人間疎外の状況は一刻も早く改善しなければなりません。
が!
だからって僕たちはもう、ネット社会や情報社会から逃れられることは難しい環境にあるのですよね。
ならばこちらから情報やネットに向かう姿勢を変えれば良いのだ!
ということで、情報アレルギー体質を改善する方法を考えてみたいと思います。
(つづく)
小説以外の本ならば、何となく週に2〜3冊くらいのペースで読んでます。
寝る前とか、仕事サボってる時とかに。
僕のばあい自宅で仕事をすることが多いので、通勤時間というのがほとんど無いんですね。毎週木曜のSuonoDolceに行く時か、スタジオでレコーディングをする時くらい。
だから仕事の合間などに本を読むには、寝るかサボるかしないといけないのです。そういう事情もあって仕方なく仕事をサボることにしてるんですよね。
本というのはこれまた年齢とともにどんどん増えていくもので。溢れかえる本棚を見るたびに自分がどれほど齢を重ねたかを思い知らされるようで、精神衛生上にも何とかならないものかと考えていたのですよ。
そこに降って湧いた昨年からの電子書籍ブーム到来。
僕も現在100冊/月のペースで本棚の本を片っ端からPDF化して、本棚のアンチエイジングを図っています。
おかげで最近はリアル本棚がスッキリ。
本も音楽も最近は完全にデータ化されるのが主流ですね。これからもその傾向はドンドン強まるのでしょう。
確かに「読む」とか「聴く」だけが目的のものであれば、僕もそれで全然OKだと思ってる派なのですが、
「触れる」
とか
「愛でる」
ってことになると話は別なのです。
そこには、懐かしさとか、幼児体験とか、肌触りとか、自分の生きてきた記憶の証が伴うのですよね。これは人それぞれの感情に根ざしているから、データではどうすることも出来ないのですね。
これから先の時代になって、脳波すらコントロールできるようになって、触覚や嗅覚さえも疑似体験できる時代が来るようになるとは思いますが、
「自分自身が生きてきた証」
としての記憶や肌触りはずっと大事にしたいんですよね。
ちなみに、絶対に電子書籍化できない、僕の記憶の主たちw
3回に渡って書いてきた「2時間での60秒CM制作」エピソードですが、最後にこのCMの音に込めた僕の思いを少しばかり。
ふだん僕は、自分の作った音楽についてあれこれ言うことは少ないのですが、今回のCM制作は楽曲としてでなく、
「60秒のサウンド・ドラマ」
として作ったつもりなので、むしろ制作に込めた今この瞬間の思いを書き留めておくことが、のちのち何か「新しく面白いこと」につながる気がしてます。
今回のCMのオモテのコンセプト「20年後の今日」とは別に、音楽だけに隠れたメッセージを込めてみました。
メインのメロディはこれ。バイオリン譜。
このメロディ。
実は「ドレミファソラシド」と対応する「ハニホヘトイロハ」を組み合わせて、
「空へ空へと、走れ。」
という隠しメッセージを込めました。
音符に当てはめるとこんな感じ。
今年成人式を迎える人への僕からのメッセージ。
20歳だけでなく、頑張ってるすべての日本人へのメッセージ。
そして、20年後の自分自身へのメッセージ。
伝わるといいな。
そして僕も、今年から少なくとも20年、日本の明るい未来のために頑張ることにします☆
昨日は「ラジオ生放送中に60秒CMを一本作ってしまおう」という寿命が1年ほど縮まるような番組に、音楽制作で参加しました。
番組は【J-wave Special McDonald’s TOKYO CREATORS’ LIVE】
MCクリスペプラーさん、制作するCMの総合プロデュースおちまさとさん、コピーライター藤本ヨシカズさん、そして音楽がワタクシ。
「クリエイターズライヴ」と銘打つだけに皆さん超強力な布陣に囲まれ少々恐縮しつつも、いつも通りニヤケ顔で乗り切ってしまえ!と臨みました。
——-
2週間前におちさんから渡されたお題が、成人式にちなんで「20年後の今日」ということだったので、まず20年前のことを考えてみました。
音楽の20年前・・・90年代J-POPかあ。
で、今・・・AK○48かあ。K-POPかあ。
なんか、、、全然進歩してないじゃん。
この20年、日本の音楽業界は音楽よりもお金儲けのことばかり考えて、結局儲からなくなっちゃって、自分たちのせいなのにそれを不景気のせいにしてる。
何か違うぞ?
って思ったのが、最初のとっかかり。
で、今から20年後・・・
・・・それでも僕はこの国に希望を持ちたいなと思ったのです。
20年前から今までの20年間は、確かに拝金主義で心も社会も荒んで、その結果、良心も思いやりも、それらを犠牲にして儲けたはずのお金さえも無くなってしまった。何にも無くなった。
でも、希望だけは持っていたい。
少なくとも僕の作る音楽には希望をたくさん入れておきたい。
これから先20年間で、僕がどれだけの音楽を作れるか分からないけど、
20年後に、
「あの中塚武ってバカがいたから、少しは日本の音楽も捨てたもんじゃないと思えたね」
「あの20年前のJ-waveの無謀な企画の番組、良かったよね」
「ああいうバカな試みをする奴らが、20年前にはいたよね」
と思ってほしい。
無謀な思いつきとか、バカな試みとか、青臭い挑戦心とか、そういうものが希望につながると信じたい。
その一念でこのCM音楽を作ろうと決めました。
——-
シナリオ案は本番の2日ほど前に届きました。
いま20歳の自分に語りかける20年後の自分。
希望を持って青空を走り抜けようとする20歳の自分。
すごく心が打たれるシナリオ。さすがだなあ、藤本さん。
この2人の自分それぞれにメロディのモチーフをつけて、最後には2つのメロディを融合させてひとつのメロディにすると、この2人の対比がさらに映えるかも。
今の20歳の自分=バイオリン
20年後の自分=チェロ
同じ弦楽器なのにトーンの異なる2つの楽器が、メロディを別々に奏でて、最後には1つのメロディに。そうなったら素敵だなあ。
さっそく曲を書いて、本番の録音に臨みました。
(その2へ続く)
生まれてこのかたカメラってものは撮るのも撮られるのも苦手で、渋谷系おしゃれさん必携アイテムみたいなイメージしか無かったのですよ。
「何でもカメラに収めやがって。親にもらった二つの眼で見やがれ!」
と、訳の分からぬ反抗心を抱いていたのですね。
そんなカメラ嫌いの僕を変えたのはiPhoneの写真加工アプリでした。
撮った写真をその場で好きな色や形に加工できる!これは面白い!
そっか、デジカメはこんなに面白いことが出来るんだ、と今更ながら気づいた超文明人のワタクシ。
一度ハマり出すと脇目も振らず夢中になってしまうのが僕の良いところ。
そしてすぐに過去の非を認めるのも僕の良いところ。
カメラのことバカにしてスミマセン。
渋谷系の皆さまも小馬鹿にしてスミマセン。
今度僕も歌詞にカメラ使いますので許して下さい。
というわけで、先日、人生初めてのデジカメを持って鎌倉に初詣に行ってきました。
いざ写真を撮り始めると、いきなり立ち止まったり座り込んだり、他人の迷惑になるような姿勢を平気でとってしまいますね。タクシーの車線変更のような迷惑ぶりに反省。
久方ぶりに行ったら・・・そうだ、隠れ銀杏が倒れたんだっけ!
でももう新しい幹が出てきてるんだね。
でもやっぱり加工できるから面白いんだな。
撮影そのものよりも加工が好き。「三丁目の夕日」風アレンジ。
どもども。中塚武です。今年もよろしくね。
ここに登場するのは久々なのですが、昨年のTwitterマイブームもあって、今年からは自分のホームページも充実させようと決意したのです。
今まではホームページじゃなくて家出ページでしたからね。
あれ?
そんなようなことを一昨年も書いた記憶が・・・
昨年などは決意すらしなかった記憶が・・・
いやいや、すぐに過去と訣別できるのが僕の良いところ。
今年は元旦からこのホームページで、いよいよ新曲の無料配信コーナー「TAKESHI LAB」を開設しましたよ。
出来たてほやほやの新曲を完成直後に配信してしまおうという、町のパン屋さんのような試みです。
マジで出来たてなんだよね、これが。
記念すべき第一回配信曲「月を見上げてた」なんて、完成したの大晦日の夜だからね。それで1日の0時に配信。曲から湯気がぽっかぽか出てたよ。
新曲はこれからも定期的にアップしていくよー。
ただ、システム上1曲のみのアップなので、次の新曲を配信する時に以前の配信曲は消えてしまいます。なるべく早めに吸い取ってね☆
ってことで、今年はこのホームページで会う機会をたくさん増やします。
近いうちこのコラムでもコメントもつけられるようにするつもり。
もちろんリプもするので、曲の感想その他くだらないコメントお待ちしてます。
ではでは、今年もよろしくね〜。