「遊び」に関しての僕の信条はかなりハッキリしていて、特にゲームではそれが顕著なんですね。最近のゲームはグラフィックばかりがものすごく綺麗で、実写と見紛うものも多いですが、ゲームそのものの面白さとは何の関係もない部分にそれだけ力を入れていても、肝心のゲーム自体は全然面白くなかったりしてね。「お化粧は上手だけどスッピンはどうなの?」みたいなことになっちゃってるゲームが溢れすぎて、最近のゲームは全然好きじゃなかったんです。結局テトリスとかの方がオモロイじゃん、なんて思ったりしてね。
そんな僕の思いに世界のNINTENDOが気づいてくれたようで(そんな訳ないか)、ゲームボーイから超シンプルゲームのシリーズが出ました。その名も「Bit Generation」シリーズ。ゲームのルールと映像はいたってシンプルなものばかり。だからこそゲームそのもののアイデアと面白さ、難易度のバランスなどが大切になってくるのですが、そこはさすがNINTENDO。バッチリの面白さでした。
中でも特に僕がハマったのが「Coloris(カラリス)」。ブロックの色を変えて同じ色に揃えるとブロックが消えるという、「ぷよぷよ」と「さめがめ」を足したようなルールなのですが、色の変え方などに制限がある分、すごく新鮮なゲームでした。映像も音楽も最高で、しかもゲーム自体が面白い!すっかりハマって3日で全面クリアしてしまいました。
こんなに同じゲームをずっとやったのは久々だなあ、なんて感慨に浸りながら全面クリアのエンディング画面をボーッと見ていたら、何と音楽のクレジットにアノ人の名が!これにはビックリ。あ〜、不覚にも「カッコイイ」とか思っちゃったよ〜。
コナミという会社は今でこそスポーツクラブやプロ野球のスポンサーなど、ゲームという枠からスポーツビジネスの世界に飛躍を遂げようとしていますが、そのルーツは1984年のロス五輪の一年前にリリースされて大ヒットした「ハイパーオリンピック」にあるわけです。
会社というところは、ひとたび大きいヒットを出したジャンルが「名物部署」として社内で定着するものなんですね。おそらくコナミ社内でも「スポーツはコナミ」みたいな風土がじわじわと根づいていたのではないかと。そのジャンルで次のヒット作が生まれるまで待てるだけの「懐の広さ」みたいな空気が社内に充満するんですよね。
周囲が待ってくれる、ということはそれだけ期待も大きく、必然的にプレッシャーも大きくなる訳ですね。その期待に応えたいがために、結局は安易に二匹目のドジョウを狙ってしまう。いわゆる「続編」ってヤツです。この続編というのが曲者で、最初の作品を超えるのは難しかったりするのが世の常というか無常というか。周囲は「攻めの姿勢」を期待しているのに、作り手側が「守り」に入っちゃうんですね。欲が恐怖心に変わる瞬間、すなわち、成功が失敗に変わる瞬間。
続編である「ハイパーオリンピック’84」はやっぱり非常に微妙な結果となりました。第一作に勝るとも劣らぬ優れた作品だったのですが、やっぱり攻め切れなかったんでしょう。成功体験のあとこそ、むしろその成功を捨てるくらいに強い攻めの気持ちが必要なんですね。でないと、たった一つの小さな成功に自分自身が押し潰されてしまう。
ちなみにこのシリーズで初めてカーリングというスポーツを知ったなあ。今でこそ花盛りのカーリングですが、実はゲーマーの間ではかなり以前からメジャーなスポーツでした。
ゲームメーカーにも旬というか栄枯盛衰みたいなものがあって、今はやっぱりソニー時代だったりする訳ですね。その前の大きな時代を築いた任天堂は今や独自のキャラクター路線を歩んでたり、マイクロソフトがソニーに立ち向かったりしてますね。たぶんMSが負けるけど。
僕が小学生/中学生だった頃は「ゲーセンではセガ、家庭用では任天堂」っていうのが常識でした。セガはポリゴン格闘ゲームの「バーチャファイター」を作ったかと思えば「プリクラ」を流行らせたりして、それはそれは物凄い勢いだったんです。
そのセガの勢いのキッカケが、デカイ筐体をそのまま操作系に使った「体感ゲーム」シリーズ。そのまんまレーシングバイクの格好をした「ハングオン」から始まって、スペースハリアー、エンデューロレーサー、アフターバーナーなどなど、「いくらかかってんの?」と訊きたくなるようなバブリーなゲームを次々と発表してたんですね。画面も当時珍しい3Dだったりして、もう画面見るだけで「オォ〜!」なんて、ハナ垂らしながらバカガキ丸出しで興奮してたんです。
その中でも僕が完全にハマっちゃったのが自動車ゲームの「アウトラン」。リゾートコースをオープンカーで彼女乗せて走るだけの、今考えるとごくフツーのドライブゲームなんですが、これが当時のバカガキには何だかミョーにオシャレに見えてね。ゲーセンにいるってだけでオシャレなはずがないのに、すっかりオシャレさん気分でゲームしていた恥ずかしい過去を思い出します。そんなにシャレたいならゲームせずに服でも買えよ、ってくらいハマりました。
曲も何だかオシャレでね。ゲームの前にカーステ画面で曲を選べたりして。今聴くと単なるフュージョン系のゲーム音楽なんですが、家帰ってリコーダーで耳コピしたりしてました。ただのゲームオタクのガキですね。全然オシャレじゃねー。
ゲームオーバー時に流れるバラードは今聴いても最高。今度カバーしようかな。
興味の無い人はまったくノーマークだとは思いますが、僕的に今月(’05.9)一番のビッグニュースはゲームボーイミクロ発売だったのです。えぇ、もちろん発売日に手に入れましたとも。ファミコンカラーをね。
初代ファミコンのコントローラーよりも小さなそのボディでゲームボーイソフトが遊べるなんて・・・しかもそのコントローラーとほぼ同じカラーリングの「ファミコンカラー」もあるなんて・・・実際に手に取った時には思わず「ハドソンハドソン!」と叫んでしまいました(ここで反応した方はすでにお肌の曲がり角)。
とにかく衝撃なのは、ゲームウォッチよりも小さなゲームボーイがついに出てしまったか!ということ。実は僕、ゲームウォッチコレクターでして、この前の名古屋でのイベント帰りに20歳の女の子に「ゲームウォッチって何?」と言われた時よりも大きな衝撃なんですよ。
ゲームウォッチって実はコレクターが結構多くて、ヤフオクとかで調べると1台「ン万円」は当たり前だったり。僕が全シリーズ欲しいと思っている「クリスタルスクリーン」シリーズになると、時々6ケタの値がついたりしてひっくり返ってしまいます。シリーズ全部集めると国産中古車を余裕で買えますよ。
ちなみに、ゲームウォッチは最初の「シルバーシリーズ」が圧倒的にカッコイイ!デザインとして機能的だし、配色もロゴも最高のセンス。しかも外箱がこれまたカッコイイんです。今回のゲームボーイミクロの青色ダイオードボタンもかなりイケてるけどね。
実は僕はゲームに関してはかなり頑固に「ゲームは遊び。絵の綺麗さは関係ない」と思っていて、ナムコの就職面接でタンカ切って役員に怒鳴られた事もあるのですが、やっぱりどんなにテクノロジーが発達して実写のようなCGのゲームが出現しているとしても、結局は電車の中で手軽に出来るようなゲームの単純さと面白さには勝てなかったりするんだよね。ゲームの原点に立ち返らせてくれる任天堂に最敬礼ッス。
僕は小さい頃からとにかくゲームが好きでねぇ。まあ子供って言うのは大抵ゲームと下ネタは大好きなもので、僕もご多分に漏れずそんな感じの、いわゆる「そこら辺にいるフツーの汚いガキ」だった訳です。まあ今も「そこら辺にいるフツーの汚れたオトコ」なので、何年経っても大して成長してないなあ、と軽くヘコんでみたりしますが。何の話だっけ?あ、そうそう、ゲームね。すごく好きだったんですよ。
で、その中でも一番好きだったのが「パックマン」。好きになった理由は「近所で一番上手かったから」っていう、これまた何ともフツーのガキ丸出しな理由でした。好きなモノって、「好き」と自覚し始めるとそれによってさらに好きになったりするじゃないですか。僕も「上手い」→「誉められる」→「好きになる」→「お前パックマン好きだよね、と人から言われる」→「さらに好きになる」→「さらに上手くなる」みたいなパックマン・スパイラルにハマって、結局ものすごい上達ぶりと共に「パックマン命」みたいになったんですよ。しかも恥ずかしいほど短期間で。まったく子供なんて単純なもんだ。あ、今も大して変わってないんだった。